こんばんは
テラニシモータース営業の津田と申します。
まずは、勿論皆さま初めましてなので自己紹介をしたいと思います。
名前は津田圭悟です。年齢は19歳です。去年まではピチピチの18歳だったのに今では、ただのおっさんです。(笑)
先ずは小学生の頃の話をさせて頂きます。
自分は小学生の頃、ずっと野球をしてきました小学2年生の頃に友達に誘われて体験会に行ったのがきっかけで野球をしておりました。
そこから毎日、学校が終わって家に帰って野球の支度をして、野球が終われば友達と遊びに行くのが日課になっていました。
小学生の高学年になれば後輩となる子が入って来たりと楽しい毎日を過ごしていました。
自分のチームは人が多いチームで競争率も高かったので毎日の自主練習が大事になってくるので毎日しっかりと練習に励んでいました。
5年生では、キャッチャーをさせて頂きました。キャッチャーは、野球の要で凄く頭を使います。僕はとても頭が悪いので試合をするたびに監督に怒られていました。
6年生では、いろいろなポジションを守りました。
ピッチャーやショート、サード、ファーストを守りました。
その中で一番守っていて楽しかったポジションは、キャッチャーです。なぜなら絶対にボールが来るし自分の指示で試合が動くからです。
ピッチャーにどんな球を投げさせるかなどで試合の動きも変わって来るのでとてもやりがいがありました。
バッターによっても配球が変えていけません。でも三振を取れた時はとてもきもちが良いです。
昔に戻れるな小学5年生に戻りたいです。
中学に入り、自分はとても悩みました。
その悩みの種は、中学の野球部に入るか外の野球チーム入るかですごく悩んだんですけれども、結果は外の野球チームに入る事に決めました。
なぜなら自分のお母さんが自分のやりたい事をしたらいいと言って頂いたので、外の野球チームに入る事を決めました。
外の野球チームはみんながとても上手で全くレギュラーにも入れませんでした。
その時は、とてもショックで少しの間引きこもりになってしまうぐらいに落ち込みました。
で中学2年生の時に、外野球を辞めてしまいました。
その後は、中学の野球チームに入って、とても楽しく野球も学校生活も充実した生活を送っていました。
中学の時は、ずっとピッチャーで頑張っていました。
外野球に居た頃とは、全く違う楽しさがあって純粋に野球を楽しみたいとゆう気持ちがありました。
今回は、このぐらいにさせて頂きます。
次回は、高校生から現在に至るまでのを話をさせて頂きます。
もしよろしければ次回も是非見て頂けると幸いです。
テラニシモータース営業の津田でした。
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